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  • 2013.03.01 Friday
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はじめに

著作権について、研究を始めようと思う。

特にメインとしたいテーマのひとつは、著作物と公共の福祉(the public welfare)の関係である。

著作物は、著作者が専有するものである。これはベルヌ条約でも日本の著作権法でも明確に謳われているものであるので、異論はないであろう。
しかし、その専有は、日本国憲法29条の2項の財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める」という文言に基づいて、著作権法で定められている権利である。
著作物は、公共の福祉に適合するように運営されているのか? いないのか。それを判断する基準はどこにあり、どういうものなのか?
そうしたことについて、考えていきたい。

こうした話に一定の結論を見出すことが最終的に可能なのかはわからない。しかし、まずは、上記の目的を明らかにすることを目指して、わき道にそれながらも、日々考えたことをこの場で述べていきたいと思う。なので、体系立って何かを検討していくというよりは、自分の備忘録的なものになる可能性が高いであろう。

例えば、私的録音録画補償金制度についての文化審議会での討議に対するコメントになる場合もあれば、独占禁止法23条解釈論についての話になる場合もあるかもしれない。または、ロールズとノージック、アマルティアセンなどについての見解を書くことがあるかもしれない。

ブログの性質上、きわめて私的なものになるが、以上がこのipblogの内容である。

ユーゴー
(写真) ベルヌ条約創設に大きな貢献をした、国際的著作権法学会ビクトル・ユーゴー名誉会長(This image is in the public domain because its copyright has expired.)

II-i そもそも著作権とはどういうものか?

 今回は、まずそもそも著作権というものはどういうものなのかについて、ちょっと整理してみたい。まあ、前置きのようなものである。
 ちょっと堅い感じに書いてしまったように思うけれど、おおよそこんな感じかと思う。

 著作権とは、知的な創作活動によって何かを作り出した人に対して、他人に無断でその創作物を使用されないという権利を付与する制度であり、著作権法第2条第1項は著作物について「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう」と定義している。

 この著作権という権利の、他者による利用行為を規制する根拠のひとつとしては、創作者にインセンティブを与えることで、より多くの多様な作品が生み出されることを期待しての制度であると考えられている。

 岡本薫は、「他人が作ったもののパクりは自由ということであれば、人は創作意欲をなくしてしまうが、自分がガンバってつくりだしたものは、自分のものになるということを制度的に保証することによって、『インセンティブ』を付与することができる 。」とインセンティブの意味について述べている。

読書 岡本薫 著 『著作権の考え方

 この他、歴史的視点では半田正夫のように「肉体的労働によって有体物を獲得した者がその物について所有権の保障を受けうるのであれば、同様に精神的労働によって著作物を作成した著作者はその著作物について一種の所有権が与えられ、国家によって保障されるべきだろうという理論(精神的所有論)が生ずるにいたり、これが現在の著作権制度の基礎を形作ったのである。」という説もあるが、現在もこの考えを踏襲することに対しては、いくつかの学説がある。

 田村善之は「インセンティブ論以外にも、しばしば、人はその知的創作物に対して権利を主張することができるはずであるという自然権論ないし正義論に求める立場が主張される。しかし、正義や公正に配慮しなければならないからこそ、権利によって制約される他者の行動の自由に対する配慮に欠いたまま、創作者の権利を強調することは許されないのではなかろうか。」と述べ、また、林紘一郎も、「自分が生産した有体物に対して排他権が生ずるなら、精神的生産物に対しても同様の権利が生ずるのは当然だとする主張は、有体物と無体物を同列に扱うことになるので採用できない。」と異なる意見を述べている。

読書 半田正夫 著 『著作権法概説
読書 田村善之 著 『著作権法概説
読書 林紘一郎 著 『著作権の法と経済学

 以上のような意見を整理しまとめると「著作権とは、自然権的に与えられるものではないが、著作者の利益保護を第一義とし、利用者の自由に配慮をしながらも、自分で努力をして創作したものについては自分のものになるという制度を保障することにより、多様な作品を世の中に生み出すための制度」というのがひとつの見方であるといえるだろう。

 さて、この著作権制度であるが、その源流は古く、15世紀中頃のイタリア、絶対王政のもと、ヨハン・グーテンベルク(Johannes Gensfleisch zur Laden zum Gutenberg)による印刷技術の発明の社会的影響とともに「出版特許」として始まったといわれる 。

 1575年にはエリザベス1世(Elizabeth I)がトマス・タリス(Thomas Tallis)とウィリアム・バード(William Byrd)に楽譜の独占印刷権を与えるなど、当時印刷機に大きな投資をした印刷業者と、産業として振興したいという国王との利害が一致し、印刷業者に独占的出版権を付与したのが始まりとされているが、これは昭和16年の日本において、出版社から小売店への書籍の配本を行う取次店を、政府の統制によって東京市にのみ置くとし、書籍流通をトーハンやニッパンなどに集中させた事例 からも想像できるように、多分に行政による事前検閲の意味合いも含んでいたと考えられる。

 その意味からも、その後のフランス革命などを通じて、「思想・信条の自由」「言論・出版の自由」などの権利が獲得される中、著作権も、検閲の可能性を残すような登録制ではなく、著作物が作られた時点で自動的に付与する、という流れになったと考えられる。

 この流れが結実するのが、1886年9月9日。列強10か国がスイスのベルヌに集まり締結された、いわゆる「ベルヌ条約」(文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約)である。

 このベルヌ条約は、当初は内国民待遇の原則を確立したことが大きな特色であったが、その後、1908年のベルリン修正条約で、無方式主義の採用が採択された。現在、ベルヌ条約第5条2項は、「権利の享有及び行使には、いかなる方式の履行をも要しない。その享有及び行使は、著作物の本国における保護の存在にかかわらない。」と著作権の発生に登録の不要を宣言している。日本の著作権法も第17条2項において「著作者人格権及び著作権の享有には、いかなる方式の履行をも要しない」と規定しており、文化庁は「著作権は、こうした手続きを一切必要とせず、著作物がつくられた時点で『自動的』」に付与するのが、国際的なルールとされています(権利取得のための『登録制度』などは禁止)。」と、最近国内でわき起こっている著作権の登録制度についての議論に対して、条約との関係を背景に牽制をしている 。

 さてこのように無方式で自動的に創作物に対して発生する著作権だが、次回は、日本における著作権の基本的な構造について見てみたいと思う。

グテンベルグ
(写真)ヨハネス・グーテンベルク(Johannes Gensfleisch zur Laden zum Gutenberg、1398年頃-1468年2月3日)(出典wikipedia)This image is in the public domain because its copyright has expired.

II-ii そもそも著作権とはどういうものか?

さて前回「そもそも著作権とはどういうものか? その1」で書いたように、無方式で自動的に創作物に対して発生する著作権だが、ここで日本における著作権というものの基本的な構造について見てみる。

 著作権は、「情報」という無体の財産を保護するもので、特許や商標などと同じく、形はないが、それが生み出す経済的な利益が大きいという理由で個別の法律で保護される、知的財産権という権利の中のひとつであり 、図1のような構造を持っている。



図1

読書 文化庁 著 『著作権法入門〈平成18年版〉


 よく著作権と所有権が混同されるが、例えばCDが1枚あるとして、そのCDの著作者の著作権が死後50年経って消滅しても、CD所有者の所有権は残る。一方、自分の持つCDを売った場合、所有権は移転するが、著作権そのものは著作者から移転しない。

 このように著作権が保護しているのはCDというモノではなく、あくまでも情報なのである。そこでこうした情報を形のあるようなものとして保護しようというのが、著作権法である。著作権の構造は図2のようになっている。


図2
図 2 岡本薫『著作権の考え方』(岩波新書,2003),P.10より引用

読書 岡本薫 著 『著作権の考え方

 岡本薫は著作権をこの図2のように3つに整理し、著作隣接権も含む、広義の著作権として「著作権 廖C作隣接権と分離し、人格権、財産権を含む著作者の権利として「著作権◆廖そして、著作者の財産権としての部分に着目したものを、「著作権」とわかりやすく整理している 。

 なお、著作隣接権とは、著作物の創作者ではないが、著作物を伝達するのに重要な役割を果たす者の権利であり、放送局、有線放送局、レコード製作者、実演家にのみ現在与えられている権利である 。

 一般に最近のインターネットにおけるコンテンツビジネスにおいて、関係者にこのトータルの著作権概念が明確でないために、混乱を起こすことが良くある。

 例えば、「著作権はジャスラックでクリアにできるのですよね?」という質問に対しては、「著作権△魯献礇好薀奪との交渉でクリアできるが、著作隣接権を含む著作権,魯リアに出来ない。別途、著作隣接権者であるレコード製作者等と交渉し、著作隣接権がクリアになれば、著作権△離リアと合わせて、著作権,鬟リアにできる。」という説明が必要になる。

 また、「ある作曲家が自分の著作権を売ったという話を聞きましたが、その曲の権利はすべて買った人のものになるのですか? そうだとすれば、著作権を買えば、その作曲家の音楽はインターネットで使い放題に出来るのでは?」という問いに対しては、「それは著作権を売却しただけであるので、人格権はその作曲家に残る。人格権は、著作権法59条により、譲渡できない。

 さらにレコーディングされてCDが発売されているのであれば、著作隣接権もクリアしないといけない可能性があるので、楽曲を使い放題になるわけではない」と説明する必要がある。

 さらにいえば、「テレビ局を買収すれば、番組の権利がすべて手に入るのだから、その放送局の音楽番組もインターネットで配信できるのでしょう?」という質問に対しては、「著作隣接権のうち、その放送局の著作隣接権はクリアになるが、著作隣接権のその他の部分、つまり、その番組内で使われる曲のレコード製作者の著作隣接権および、出演している実演家の著作隣接権はクリアにできておらず、さらに、著作権△皀リアになっていないので、放送局を買収しても、音楽番組における著作権,鬟リアにすることにはならない」という説明が必要である。


 こうした著作権のもつ煩雑さが、商取引を進める時に一部の業界のプロを育て、そのプロ同士の取引によりビジネスを成立させていたという大きな理由だったのであろう。しかし、今や一億総クリエーター、一億総ユーザーの時代が来ているのである。

 インターネットの自分のホームページで、パブリックドメイン になっているはずのベートーベン(Ludwig van Beethoven)の交響曲第5番ハ短調作品67「運命」の音源を配信していたところ、突然、著作隣接権者であるレコード製作者とその演奏者であるロンドンフィルハーモニーから警告を受けるというようなことがないとは限らないのである 。そうした時代であることを認識した上で、著作権法制度を見ていく必要があるのである。


02
Ludwig van Beethoven 1820 (Joseph Karl Stieler)
This image is in the public domain because its copyright has expired.

III-i 技術革新と著作権 グーテンベルクからインターネット 

 著作権法は、そもそも形のない情報を、形があるようにして取引をさせようという制度である著作権法第1条は、「この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し、著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作権者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。」と、著作権法の目的を定義している。

 この公正な利用ということについて、加戸守行は、『著作権法逐条講義』で「著作者等の権利の保護を図る図り方としましては、『これら文化的所産の公正な利用に留意しつつ』という言葉がございますけれども、いわゆる公共の福祉、国民が著作物を利用する者であって文化の享受者であるということを念頭において権利の保護を図りなさい、という意味で保護の仕方に規制を加えております。」と述べている。

読書 加戸守行 著 『著作権法逐条講義

 つまり、著作物は国民に利用してもらうことを、その権利の保護と同様に目的として持っており、その利用を促進させることが要請されているといえるだろう。そして、それを実現するために重要なポイントが二つある。

 一つ目は、形のないものを、何にどのように記録するのか、というポイント、つまりどう複製するか、ということである。著作権法は第21条で、「著作者は、その著作物を複製する権利を専有する」としており、この複製は著作権にとって重要な概念である。

 もうひとつは、それをどのように聴く人に届けるかという視点、これは公衆への伝達ということである。著作権法は第23条1項で「著作者は、その著作物について、公衆送信 (自動公衆送信の場合にあつては、送信可能化を含む。)を行なう権利を専有する。」と定めて伝達を著作権者の権利としている。

 そして、複製と伝達、この重要な二つのポイントに大きな影響を与えて続けてきたのがまさに「技術」なのである。

 著作物は、この「技術」の影響を歴史的に大きく受け続けている。田村善之は、過去から現在までを整理すると、技術は著作権に対して、大きな三つの波をもたらしていると述べている 。それぞれの波をまとめたのが図3である。

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図 3 田村善之『著作権法概説』より
読書 田村善之 著 『著作権法概説

 そもそも古来、音楽は口承であり、何かに記録されることなく、親から子へ、年長者から若年者へと受け継がれてきた。田植え唄、声明(しょうみょう) などはこれにあたるであろう。

 欧州で楽譜が成立したのは9世紀ごろといわれ、主にキリスト教のグレゴリオ聖歌のためのものであった 。日本でも、声明のために五音博士という譜面が生まれたが、江戸以前ということだけで、成立時期は定かでない。なお、三味線楽譜が生まれたのは明治42年である。これら譜面ができてからも、それを複製するには筆写によるわけだが、手書きである以上大量の複製はできなかった。そこに来たのが一つ目の技術の波、印刷技術の普及である。

 グーテンベルクが発明したといわれるこの印刷技術 の普及は、譜面などの複製コストを大きく下げることとなった。それまでの楽譜は手で書かれていたが、1473年、初めて印刷された楽譜が登場し、1501年にはオッタヴィアーノ・ペトルースが96曲を印刷して収録したHarmonice musices odhecaton が発行された。

 一方、伝達においても、大きな変化が起きていく。内燃機関を利用した蒸気機関車、蒸気船の登場である。これにより、さまざまな物の輸送伝達コストが大きく軽減され、生産物を遠く離れた市場へ大量に輸送することができるようになった。この物流革命は、物における各国間の交流を拡大するだけでなく、文化面においてもその交流を飛躍的に増大させることとなった。19世紀半ばには、イギリスの鉄道網だけで延べ8000辧1870年には、ヨーロッパの鉄道網は述べ1万9200kmにまで達していたという 。

 この第一の波に対応して、「レ・ミゼラブル(Les Misérables)」などで有名なビクトルユーゴー(Victor Hugo)を会長として設立された国際文芸家協会は、著作物の海賊盤が許可なく大量に印刷されている事実や、A国の著作物がB国で勝手に販売され消費されている、という現実を訴え、国内及び国を越えた権利保護の仕組み作りのための活動を行い、その国際的な運動の成果として、ベルヌ条約を結実させたのである。

読書 ビクトル・ユーゴー 著 『ああ無情


 そして、2つ目の技術の波は、1877年にトーマス・エジソン(Thomas Alva Edison)によってもたらされた、録音技術である 。この技術により、実演家の演奏は譜面ではなく、実際の音として複製されることになった。その後、この蓄音機がレコードプレーヤーとなり普及していく中で、音楽産業の中心は、譜面業界からレコード業界へと移っていくことになる。そして、2つ目の伝達に関する技術の波が、放送である。

 最初の放送は、1900年、元エジソン社技師であったカナダ生まれの電気技術者レジナルド・フェッセンデン(Reginald Aubrey Fessenden)によって、無線での音声放送が成功。その後改良を重ね、1906年12月24日、無線で予告をしての世界初のラジオ放送が行なわれた 。その後、1920年11月2日にアメリカ・ペンシルヴァニア州ピッツバーグで正式な商業放送が始まり、ラジオ放送は世界に広がっていくことになる 。これら第2の技術の波により、著作物は、譜面を見ながら、人前で演奏する時代から、演奏が録音され、公衆に向けて放送されるという時代を迎えることになったのである。

 そして、三つ目の大きな波が訪れた。複製についてはデジタル化技術。伝達については、パケット通信という概念ができ、それによりインターネットというネットワークが普及したことである。

 デジタル化技術は、それまでアナログであった音やメロディの波形を、等間隔にサンプリング(標本化)し、符号化する技術である。サンプリングするポイントの間隔が例えば1秒に1回と粗ければ(1秒に1回の標本化の単位を1Hzと呼ぶ)、当然、サンプリング精度は低いが、1秒間に1000回(1000Hz=1kHz)、さらに一秒間に4万1000回(44.1kHz)の細かい間隔で音をサンプリングしていくと、音のサンプリングの精度はかなり高くなる。さらに、それを1と0の組み合わせで符号化することで、デジタル化が完了する。

 この技術の素晴らしさは、そのデータは、「0」と「1」との組み合わせからなるデジタルデータなので、何度複製をしても理論的には再現される音が劣化しないということにある。この技術により、1979年のフィリップス社とソニーの共同開発によるコンパクトディスク(CD)が発表され、私的な録音のための媒体としてDAT、MD、CD-R、DVD-Rなどが登場して、デジタル化された音源は一般に普及していった 。

 そして、伝達技術、インターネットの普及である。1969年、ARPANET に始まり、1991年8月6日に、ティムバーナーズリー(Sir Timothy John Berners-Lee)が、世界初めてのウェブサイトを公開。その後、瞬く間にインターネットは広がり、現在、世界で7億2900万人 の人間がネットワークにつながり、日本でも7361万人 がネットワークの接続経験者となっている。この第三の波により、何度複製してもほとんど劣化しない著作物が、ネットワークを通じて、大きなコストをかけることなく世界中に伝達することが、技術的に可能な時代が到来したのである。

III-ii インターネット社会とと著作物のコモンズ化

 この第三の波で起きた技術は、それまでの著作権制度のバランスに大きな影響を与えた。
 林(2004)は、その影響を「排他性(excludability」と「競合性(rivalry)」という言葉で説明している。「経済学では市場における取引の対象を『財貨』と名づけるが、それには、排他性のあるもの(他人の利用を排除することが物理的にもコスト的にも可能なもの)とそうでないものがあり、また私が使っていれば他の人が使えないもの(競合性があるもの)とそうでないものに分けることもできる」 として、図表4を示した。
 その上で、「最も一般的なものは排他性も競合性もあるもので、私有財(private goods)と呼ばれる。この対極にあるのが排他性も競合性もない「純公共財」(pure public domain)であり、国防・警察・消防などが代表例とされる」とし、残りの2つを広義のコモンズ*であるとした。

 *コモンズは通常「共有地」と訳される。誰も権利者がおらず、出入りが自由な土地などを指す。


 つまり、技術の第三の波は、私有財であったはずの著作物から、誰でも簡単に複製できるデジタル化で排他性を奪い、さらに同時に多数の人からのアクセスを受けるインターネット技術により、競合性を奪ってしまったということである。

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図表 4 
読書 林紘一郎『著作権の法と経済学』(勁草書房,2004),P20より引用

 これらの技術により実現されてしまう著作物のコモンズ化は、著作権法30条の私的利用のための複製の範囲を大きく越えている。そしてグローバルに広がっているこうした問題に対する危機感から、国際的な取り組みが行われるようになったのである。

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